競走馬の最強は一体どの馬なのか!歴史を遡って過去かの最強馬を徹底紹介!!

競走馬

競走馬で最強と聞いたらどんな馬が頭の中に浮かびますか?

競馬は単なるギャンブルとしてのレースではなく、そこには競走馬達が繰り広げる数々の名勝負があり、 騎手、調教師、厩務員、生産者、オーナー、ファンなど様々な人達の夢や想いを背負って名馬達が走っています。

だからこそ私たちはその熱い戦いに感動し、馬券の的中だけでは無いロマンをそこに見出すのかもしれません。

今回は、その競馬界で名馬と呼ばれる最強馬を皆さんに紹介したいと思います。

最強の競走馬ってどんなのが存在した?

昔から現在までの競馬には、数多くの名馬が輩出されてきました。

それぞれ、皆さんが思う競走馬の中の最強馬は違うと思います。

しかし、競馬ファンなら最強馬、という言葉に惹かれる方は多いと思います。

クラシックは無敗の三冠馬ディープインパクト!

大逃げで誰にも追いつかせないサイレンススズカ!

あなたの心の中にも、この条件ならこの馬が最強!という思い入れのある名馬がいるのではないでしょうか。

今回は、そんな名馬達の足跡を辿り、皆様に過去の偉大な競走馬たちを思い出して頂く、 また彼らの現役時代を知らない方にも好きになって頂けるような史実という物語を紡いでいきます。

好きな馬が増えれば、その子孫も含めて応援を楽しみ、より競馬が楽しくなっていくでしょう。

ブラッドスポーツの醍醐味を味わうことが出来ます。

それでは紹介していきましょう。

逃げ最強の競走馬サイレンススズカの魅力に迫る

多くの名馬がいる中で、個人的に名馬と決めるのであれば、サイレンススズカだと思います。

この逃げ馬を知らなくて競馬好きとは言えないでしょう。

昔の話にはなってしまいますが、歴史の1ページとして把握しましょう。

競走馬とは速さだけを求めて生産がされています。

とにかく速い事が使命であり宿命でもあります。

そして、競馬に於いて逃げて勝つのが1番強い勝ち方でしょう。

その速さに誰もついて来ることが出来ないのだから圧倒的勝利ですね。

自身の体に備わった競走馬の人知を超えたスピードを武器に、ただひたすらスタートからゴールまでを先頭で走る続けてゴールをする才能です。

何かに怯えて逃げていたわけでは無いでしょう。

自分のスピードを世に知らしめるために、逃げていました。

それが『サイレンススズカ』だと思います。

サイレンススズカの母はアメリカ産馬のワキアという馬です。

このワキアが日本に輸入され1993年の種付けの際トニービンの名前が最初に上がっていたのだが、 満口の為その代わりとして当時駆け出しだったサンデーサイレンスが選ばれました。

そして、誕生したのがサイレンススズカです。

4歳になりサイレンススズカは栗東の橋田満厩舎に入厩しました。

デビューに向けて調教を行っているとオープン馬に先着したり、信じられない時計を坂路で出したりと大器の片鱗を既に見せていました。

瞬く間にトレセン内には、サイレンススズカの噂は広がっていきます。

そして、1997年2月1日の京都競馬場でデビューしたサイレンススズカの単勝オッズは1.3倍と圧倒的なものでした。

また、レースぶりはさらり周囲の人を驚かせるものでした。

1番枠から好スタートを切ったサイレンススズカは、そのまま持ち前のスピードを武器にあっさりと先頭に立ちます。

そのスピードは直線を向いても衰える事は無く、さらに後続との差を広げ7馬身差のパフォーマンスで見事デビュー戦を飾ります。

この勝利で、遅れてきたクラシック候補とまで呼ばれるようになりました。

その後もレースを重ね、4連勝し春のグランプリ宝塚記念へと進みました。

鞍上は、武豊がエアグルーヴに乗るため南井克巳を迎えたました。

単勝2.8倍と大人気です。

乗り替わりも影響しただろうが、絶対的な信頼はまだありませんでした。

大外枠の13番からスタートを切ったサイレンススズカは、いつも通り先頭になります。

しかし、今までのような大逃げではなく後続を引き連れて展開となりました。

それでも1000m通過は58.6とやはり速いペースでした。

途中から後続に差を付けて、直線では他馬の仕掛けを待って追い出しそのままゴールします。

遂に念願のG1のタイトルを手にしました。

サイレンススズカと言う馬は厩舎では旋回癖があったと言われています。

それも、ずっと左に回っていたようです。

だからなのかは分からないが、サイレンススズカは左回りでは異常なほどのパフォーマンスを発揮していたような気がします。

そして、主戦の武豊はサイレンススズカの競馬をこう評した 「逃げて差す」という競馬が出来るようになりました。

秋になり、サイレンススズカは天皇賞(秋)へのステップとして毎日王冠を選びました。

このレースには、2頭の無敗の外国馬のグラスワンダーとエルコンドルパサーが参戦をし、
G2にも関わらず、12万人の人が集まった伝説のG2として今なお語り継がれているレースです。

2番枠からスタートすると、ここでも大逃げは打たずにレースを進めます。

それでも1000m通過は57.7の相変わらずのハイペースでした。

エルコンドルパサーもグラスワンダーも相手はサイレンススズカ一本に絞った位置取ります。

サイレンススズカが直線に向くと、グラスワンダーとエルコンドルパサーが追いすがります。

骨折明けの分かグラスワンダーが早々に脱落をするが、エルコンドルパサーはサイレンススズカに付いていきました。

しかし、差は詰まらないのです。

サイレンススズカは59㎏の斤量を背負っているにも関わらず、翌年に世界を相手にする馬を寄せ付ける事は無かったのです。

これで6連勝でした。

もはや天皇賞(秋)への死角など、重箱の隅を突いても見つかるものではありませんでした。

ただ、少しづつサイレンススズカには最期が近づいていました。

1998年11月1日(日)に、東京競馬場で第118回天皇賞(秋)(G1)が開催されました。

逃げ馬にとっては絶好の1枠1番を獲得します。

これで負けるとは、誰もが思えませんでした。

最内からスタートを切ったら、後は逃げるだけの競馬をします。

1000mを57.4のハイペースではあるが、もはやこの馬にハイペースなど存在しませんでした。

これがサイレンススズカペースなのだから、先頭からシンガリまでは、もはやとんでもない差になっていました。

一体どんなタイムでゴールをするのだろうと皆が思っていました。

見ている方は、もはやそれしか関心が無かったでしょう。

軽快に気分良く走っていたサイレンススズカが大欅を過ぎた後に事件が起きました!

バランスを崩し武豊が手綱を引きます。

一目で故障発生と分かるアクションでした。

そのまま、外に行ったサイレンススズカだが、鞍上の武豊を馬上から落とすことはしなかった。

武豊は下馬をして馬に付き添っていました。

必死に立っているのが解るサイレンススズカはなんと、骨折してしまいました。

「左前脚の手根骨粉砕骨折」

これがサイレンススズカに起きた故障でした。

結果は、最低の結果の安楽死でした。

生きていく事も許されなかった競走馬です。

速さの代償と言うには、余りにも残酷すぎる結末でした。

競馬界では、「沈黙の日曜日」と称されて今でもYouTubeなどに公開されています。

こちらがその動画です。 

この事故は競馬ファンの悲しみと一緒に語り継がれ、サイレンススズカの最強伝説は今でも話されています。

個人的には数多くいる名馬の中で、サイレンススズカを挙げたいと思います。

競走馬の名馬伝説を紹介

個人的に選んだ競走馬はサイレンススズカでしたが、他にも沢山の名馬が存在します。

今回は、皆さんが名馬と思う競走馬を紹介していきますので、一緒に確認していきましょう。

では、伝説に残った競走馬を1頭ずつ紹介します。

名馬は話題となった有名な競走馬をピックアップ!懐かしの名馬&最強の競走馬たちでも午後紹介しています。

音速の貴公子ディープインパクト


誰もが聞いた事ある競走馬と言えば、音速の貴公子ディープインパクトでしょう。

14戦12勝と凄い成績を残します。

敗戦は、ハーツクライに敗れた有馬記念と失格になった凱旋門賞のみです。

国内全てのレースで一番人気(全て単勝1.3倍以下)となり、国内全てのレースで上がり最速を記録しました。

3冠馬でありGⅠ7勝している競走馬です。

そのほとんどのレースを2馬身以上の圧勝で飾ったスーパーホースとも言えます。

この馬が史上最強と論じるファンも非常に多いでしょう。

また引退後も種牡馬としても優秀な馬を数多く送り出し、リーディングを独走しています。

サンデーサイレンスの最も優秀な後継として一時代を築いています。

栗毛の美しいオルフェーヴル


栗毛の美しい馬体が特徴で、気性的にも個性のある名馬です。

凱旋門賞で2度2着になるなど、近年のファンの印象も深い名馬です。

逸走や凡走などもあり安定した成績の馬ではありませんが、強さを見せる時には圧巻のパフォーマンスで周囲を魅了しました。

逸走などのトラブルなく2着に負ける時には何故か牡馬混合レースに出走している牝馬に後塵を喫することが多く、少し変わった戦績を残しています。

芙蓉ステークスではホエールキャプチャ、ジャパンカップではジェンティルドンナ、凱旋門賞でもソレミア、トレヴと2年連続で牝馬に勝利を奪われており、牝馬には弱いのではないか?と思われるほどの成績です。

今年新種牡馬として産駒がデビューしていますが、早速重賞勝利馬が出るなど今後の活躍にも期待が持たれます。

祖怪物オグリキャップ

競馬の歴史は古く、過去の名馬にはなってしまいますが、そんなオールドファンにも今も愛されてるオグリキャップは凄いと思います。

当時トライアルを圧勝しながら、出走出来なかったダービー(当時クラシックは地方馬に開放されいない)。マイルCSを勝ち、連闘で臨んだジャパンカップではホーリックスと世紀の叩き合いをします。

有馬記念でのラストランの映像をYouTubeで見ても凄い馬だと実感出来ます。

最強牝馬ウオッカ


最強牝馬として名前があがることの多いウオッカですが、最大の特徴は牝馬でありながら日本ダービー優勝の実績があることでしょう。

他の牝馬がほぼ成し遂げたことのない快挙を達成した牝馬として、3位にピックアップしました。

もちろんダービーだけでなく古馬になってからも安田記念などを勝利し、牡馬混合G1でも注目を集めました。

グランプリレースではファン投票1位に選ばれ続けるなど期待を集めていましたが、3歳時に有馬記念で敗れてからはグランプリレースの出走はありません。

名牝ダイワスカーレット


ウオッカと一緒に語られることの多い名牝の一頭。

同世代のためクラシックレースでの対戦もあり、桜花賞ではダイワスカーレットに軍配が上がっています。

ライバルとして取り上げられることも目立ち、古馬になってからもウオッカと同様注目されていた牝馬です。

1番人気で有馬記念を勝利するなど、牡馬に負けない活躍を見せました。

三冠馬ナリタブライアン


当時は絶大な人気を誇っていた三冠馬です。

この馬、ケガさえなければあとGⅠの2~3個は勝っていたと思います。

クラシックロードのこの馬の強さは抜きん出ていました。

惜しまれるのは種牡馬として成功出来なかったことです。

種牡馬2年目で急逝してしまいました。

残された産駒からはめぼしい活躍馬は出きませんでした。

血統的には母の一族からファレノプシスやキズナを輩出してるだけに、生きていれば種牡馬としても活躍出来たかも知れません。

非常に残念ですね。

ちなみに、この馬のラストランは当時新設された高松宮記念(1200m)ですが、大きな物議を呼んだ(結果4着だったからスゴイ)が、現代競馬ではやはり距離の壁は厚いということでしょう。

破天荒ゴールドシップ

他の名馬とは少し雰囲気が違い、愛されるキャラクターとして知られる2冠馬です。

芦毛の馬体や特定の条件に強さを見せるなど個性的な特徴を持ちます。

瞬発力勝負よりもやや時計がかかる展開や持久力勝負を得意とし、勝利したレースは全て上がり3ハロンが34秒台から36秒台と芝のレースにしてはゆったりとした流れです。

渋った馬場の方が強さを見せるようなイメージもありますが、皐月賞が稍重馬場だった以外は全て良馬場のレースです。

とは言え、連覇を果たした宝塚記念などは梅雨時期のレースで、当日良馬場ではあったものの前後には雨が降ることもありました。

クラシックレースの皐月賞、菊花賞以外にも3歳で有馬記念を勝利し、宝塚記念を2勝、天皇賞春を勝利するなどG1レースを6勝しビッグレッドファームで種牡馬入りしています。

競走生活の後半ではゲート難や行き足がつかないなど問題もありましたが、ファンも多く現在は種牡馬として産駒の活躍が待たれます。

最強の競走馬についてのまとめ

今回は競走馬で最強はどの馬なのか?という部分で記事をまとめました。

個々で最強の競走馬は違ってくると思います。

しかし、個人的には競馬を見てきて一番の印象が強い馬はサイレンススズカでした。

名馬とはこれからも伝説となり、語り継がれていくと思います。

時代も変われば、馬の餌や施設も良くなりもっと強い競走馬も出てくるでしょう。

そんな事を期待しながら競馬を見ていきたいと思います。